りすの本棚

思ったことを気ままに発信していくメディアです

言いたいことも言えなくなった社会の人々

前回は選挙ということもあり政治に関する投稿をしました、りすぼんです。

 

選挙の特番はみなさん見たでしょうか。どの番組も選挙特番でバラエティを見たい投票に行ってない人も多かったのではないでしょうか。民放が選挙特番をしていた中でふと思ったことが一つあります。7チャンネル、テレビ東京です。何かと臨時特番などをやらないテレ東ですが選挙特番はしっかりレースに参戦するんですね。しかも、池上彰が言いたいことをどんどん聞いていく、、

 

とても、選挙番組としては面白かったと思います。また、当選が確定した立候補者に対して冷水を浴びせる質問攻めは視聴者も「そこまで聞くか」と感じた人が多かったでしょう。特に、池上彰がSPEEDの今井に対して沖縄問題を指摘して「これから勉強します」という発言をした時の皮肉具合は後日、別のメディアで取り上げられるほどの反響を得ています。

 

そんな池上彰がどんどん切り込んでいくこの番組を見て感じたのはテレ東の選挙特番の視聴率はトップ当選確実だなと。実際、そうでしたね。

 

やはり、国民が聞きたかったことをタブー視せずに聞いていくのが大きく共感を得る要素だったのでしょう。

 

この番組から見て分かるのは日本は今まで聞けなかったり発言しづらかったことをしっかり発言していく人のタレントが非常にもてはやされる環境にあることです。

 

池上彰のみならず、有吉や池上彰、マツコデラックスなど言いたいことはしっかりいうタレントの番組の視聴率は軒並み良いのではないでしょうか。

 

これの背景って一体どこに?

 

言いたくても言えない人が日本には多くいることを示しているのではないでしょうか。

 

言論の抑圧ではなく、個人が自らの意思を発信する場所が少なくなってきているのではないでしょうか。

 

日本人のライフスタイルが以前に比べて窮屈なものになったと感じるのは私だけでしょうか。

 

若者向け政治メディアの不在

こんにちは、りすぼんです。今週末には選挙が行われるということで多少は政治に絡んだことを考えてみました。

 

まず今回の選挙の一番の注目点。

18歳から選挙権が与えられるのが今回の選挙の大きな違いですね。今まで飲酒、喫煙など認可されていない年齢がついに政治に票を投じる時代が来たわけです。

 

でもですね、ニュースで言われている通り若者の政治的関心は非常に薄い。

この原因を私なりにまとめてみました。

 

若者の政治的関心の薄さ

 

1 政治教育の希薄化

2 若者向け政治メディアの不在

3 政治の複雑性

 

この3つがあると考えてみました。一つずつ言及していきます。

 

政治教育の希薄化

政治教育の希薄化は戦後政治の自民党の一党体制が影響していると思います。もちろん、政治的安定は政策の安定などメリットはありますがデメリットもあります。私はメディアを見ていて思うのは私たち日本人の政治に関わる考え方は浅はかではないかということです。これは自民党一党体制が生んだデメリットであり、政治教育の希薄化によって自民党の責任追及を逃れている面です。

 

若者向け政治メディアの不在

そして、私が思うのは若者向け政治メディアの不在。これはかなり大きいのではないでしょうか。検索してみたらヒットしたサイトが1つありました。しかし、今年の2月を最後に更新が止まっています。どうしてでしょうか。

今のネットメディアは新聞社系のメディアがインターネットで発信しているのと一般人が情報を加工するキュレーションメディアが流行っていると感じます。キュレーションメディアってあれ画期的ですよね。誰もが投稿できるし投稿者が違う視点を持った面白いメディアです。一方で、個人(もしくは団体)が発進するメディアで万人に読まれているネットメディアというのは非常に少ないのではないでしょうか。この原因はおそらく、プラットフォームが同じメディアの方が一覧することが簡単だからだと思います。例えば、複数のブログの新しい投稿を確認するためにはいちいちブログが確認しなければいけないので面倒ですよね。もちろん、feedlyなどのアプリ使えば一覧できますけどやはり、特定のブロガーのサイトを見ていると情報に偏りが出てきますよね。政治のブログも定期的に読まれないのはやはりここにも要因があるのではないでしょうか。

 

そう、言いたかったことです。若者向けの政治キュレーションメディアの存在があったら面白いのかなって思います。一人一人が意見を発進することが新しい視点を若者にもたらすことになりますし、政治の意識が上昇するのではないでしょうか。

 

政治の複雑性

最後に政治の複雑性。これって本当にどうしようもないですよね。一人の若者から言わせてもらうと複雑すぎるがゆえに政治全てを俯瞰することができない中で票を投じることには抵抗があるのです。要は逃げです。

ここにも足並みをそろえようとする日本人的な教育の影響が垣間見えますが限定合理性の中での損益分岐点のように若者が政治に票を投じる為の分岐点を下回っているのが現状です。

 

要は何が言いたいかというと若者向け政治キュレーションメディアの提案をしたいと思います。需要は絶対にあると思います。

 

 

 

 

本をひたすら読んでいく vol.1 理系にあって文系にないシンプル思考法

こんにちは、りすぼんです。最近、もっと読んだ本のアウトプットをしたほうがいいと感じて読んだ本を少しずつブログでまとめていくことにしました。

 

今回はその第1回です。現状としては私の忘備録とでも言いましょうか。要点も人に見てもらえることよりも私が思い出せるような構成になっているのはお許しください。

 

読んでいる本はこちら

理系にあって、文系にない「シンプル思考法」

理系にあって、文系にない「シンプル思考法」

 

 

 

私自身文系なので是非何か得られるものがあればいいなと思い読みました。

 

まぁ、読み返すことがなくてもいいように要点をいくらか上げていきます。

 

知識は常に自分の中に入ってきて止まっている。

その知識をつなげることが自分なりの思考になる。

1聞いて10を知る人は自分の中にあった知識をうまくつなげることができる人

 

問題を解くためには問題の所在と構造をはっきりさせる能力が必要

 

常に判断基準そのものが正しいかを疑うべき

 

先入観は悪となる場合が多いがプラスになる先入観もある。

→常識は常に変わり続けるものだという先入観

 

ノーベル物理学賞を受賞したマックスデルブリュックは人に講義をする時の心構えとして

・聴衆は完全に無知である(専門知識はない)と思え

・聴衆は高度な知性(優れた理解力)を持つと考えよ

と指摘

さらに彼と同僚だった東大名誉教授の堀田凱樹(ほったよしき)は

・聴衆は完全に無知であると思え

・聴衆の知性は千差満別であると思え

・聴衆がおのおの自身より一段上のレベルまで理解できるようにせよ

と指摘

 

教授は何かを授ける存在でありそれを聞く聴衆の中には次世代の教授がいてもおかしくないわけです。そう言った彼らも最初は何も知らないからこそ分かりやすい言葉で伝えることによって新しい未来を作ることができるわけですね。

 

分析と総合

抽象と統括

帰納と演繹

の思考プロセス

 

分析と総合

分析:関係する知識のカタマリを分解する

統合:分解した知識をつなぎ一つの全体を作り直す。

 

抽象と統括

抽象:込み入った問題の本質的な部分のみを切りだす

統括:本質的な部分のみを使ったストーリーを展開する

 

帰納と演繹

帰納:多くの事柄から普遍的な法則を導くこと

演繹:一般法則から特別なことがらを結論付ける方法

 

このどれもが部分と全体の軸で考えていること。これらはどちらが正解というのではなくお互いに長所短所がある。どちらも使い物事を見ることが必要。

 

人生は不十分な前提から十分な結論を導き出す芸術である

byサミュエルバトラー

 

この一言を見て思ったことは経営学でいう限定合理性という概念。限定合理性とは人間は目の前にある事象から最大限の結果が出せるような選択を取るということ。

 

人間として思考するにはどのようなプロセスにすればいいのか

知り見つける

予測、予言する

理解し体系化する

つなぎ関連づける

集め整理する

この5つの事象を行ったり来たりするのが思考。この5つを縦横無尽に移動することを意識して物事を考えることが良い。

 

電車内でスマートフォンや家で新聞やテレビ、様々なところからニュースを常に私たちは仕入れているがそれをまとめたり、ニュースとニュースの持つ有機的なつながりに目を向ける人は少ないんじゃないでしょうか。

 

 

藤原正彦は天才が生まれる環境を調べ共通点を3つ見つけた。

・美の存在

・精神性の高いものを尊敬

・何かにひざまずく心を持っている

 

このことは人間が常に自分よりも勝る存在に向き合っている必要性を感じさせられる共通点ですね。

 

理系思考にも何事も理詰めで心が足りていない場合がある。

 

筆者の教育概念

・サイエンスの合理的で厳密な考え方による問題解決ー因果関係解明ーの戦略を教えその戦略を自分で展開できるための修練をすること

・社会における自分と他人の心の関わり合いを感得させ、一生を和を持って楽しく幸せに生きる知恵を磨くこと

 

 

読み終わって

思ったことは2つ

・謙虚な姿勢が学習意欲に影響される

・新しい知識は常に自分の中に入ってきているが繋げるか否かは自分次第

 

知識を吸収しようとする力とそれを繋げる力の両立が豊かな思考能力を育むのかなと感じました。ではまた。

 

 

日本人に見る人間的多様性への理解

こんにちは、りすぼんです。

 

毎年毎年、就職活動やセンター試験が話題になりますがそれって日本人なら誰しもが通らなきゃいけない道のような報道をされていると思うんです。

 

日本人にとってこの人生における数回の大きなイベントって必要なんですかね。

良い面もあるとは思うんですけど、結果として人間を学力であったり何か表面的なことで評価しようとする傾向が日本にはありますよね。

 

一方で、そう言った日本人の半数以上が受ける、または受けてきたイベントからあぶれてきた人たちに対して私たちは寛容性がないですよね。ネットでは高校を中退した人やホームレスを罵る発言や起業家をコケにしたりする傾向が少なからず見受けられる時があります。もちろん彼らは就活などのイベントを経験している人もいますが、結果として今は終身雇用や年功序列のレールに乗ることなく生活している。そうした人に対して日本人って容赦ない、というか許容する文化がない。

 

それは現代日本が生み出してきた社会システムの不備であり多様性を蝕んでいる。自分が経験していないことに対する寛容性のなさは難民の受け入れ数の少なさやレールに乗っていない人たちに対する侮蔑につながっている。

 

人はそれぞれ違う道を歩んでいてその異なる旅路を経てきた人がふとした交差点で出会うことができるのは楽しいことです。けれど同じように義務教育から大学まで受けてきた人の人生って朝に電車に乗る人と昼に同じ電車に乗る人がそれぞれ見る場所が違ったり同じ場所でも少しだけ景色が違うくらいの差しか生まれない気がします。

 

そうした中で就職活動をしている学生というのは悪く言ってしまえば「見えている範囲で最善の努力をしている」にしかすぎないです。もちろんそれで満足な学生はいいのです。本当に憧れの会社に就職して活躍しているというのはなんとも幸せなことですね。

 

しかし、就職以外の道が見えていながら就職活動をしなければいけないと考えてしまう学生のもったいなさにもっと目を向けてあげたいですね。

 

また、会社の歯車になりたくないという学生がいるとよく言われますが社会に出て起業でもしない限りは会社の歯車にならざるをえないわけです。変えることができるのはその歯車の大きさだけ。

 

そもそも、年功序列、終身雇用の果てに向かおうとしていること自体が電車の乗客なのですがより豊かな人生を得るためにこのブログを見てくださった方がそれぞれ人生を考えてくださったら幸いです。