りすの本棚

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日本人に見る人間的多様性への理解

こんにちは、りすぼんです。

 

毎年毎年、就職活動やセンター試験が話題になりますがそれって日本人なら誰しもが通らなきゃいけない道のような報道をされていると思うんです。

 

日本人にとってこの人生における数回の大きなイベントって必要なんですかね。

良い面もあるとは思うんですけど、結果として人間を学力であったり何か表面的なことで評価しようとする傾向が日本にはありますよね。

 

一方で、そう言った日本人の半数以上が受ける、または受けてきたイベントからあぶれてきた人たちに対して私たちは寛容性がないですよね。ネットでは高校を中退した人やホームレスを罵る発言や起業家をコケにしたりする傾向が少なからず見受けられる時があります。もちろん彼らは就活などのイベントを経験している人もいますが、結果として今は終身雇用や年功序列のレールに乗ることなく生活している。そうした人に対して日本人って容赦ない、というか許容する文化がない。

 

それは現代日本が生み出してきた社会システムの不備であり多様性を蝕んでいる。自分が経験していないことに対する寛容性のなさは難民の受け入れ数の少なさやレールに乗っていない人たちに対する侮蔑につながっている。

 

人はそれぞれ違う道を歩んでいてその異なる旅路を経てきた人がふとした交差点で出会うことができるのは楽しいことです。けれど同じように義務教育から大学まで受けてきた人の人生って朝に電車に乗る人と昼に同じ電車に乗る人がそれぞれ見る場所が違ったり同じ場所でも少しだけ景色が違うくらいの差しか生まれない気がします。

 

そうした中で就職活動をしている学生というのは悪く言ってしまえば「見えている範囲で最善の努力をしている」にしかすぎないです。もちろんそれで満足な学生はいいのです。本当に憧れの会社に就職して活躍しているというのはなんとも幸せなことですね。

 

しかし、就職以外の道が見えていながら就職活動をしなければいけないと考えてしまう学生のもったいなさにもっと目を向けてあげたいですね。

 

また、会社の歯車になりたくないという学生がいるとよく言われますが社会に出て起業でもしない限りは会社の歯車にならざるをえないわけです。変えることができるのはその歯車の大きさだけ。

 

そもそも、年功序列、終身雇用の果てに向かおうとしていること自体が電車の乗客なのですがより豊かな人生を得るためにこのブログを見てくださった方がそれぞれ人生を考えてくださったら幸いです。